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1/2★カープは3連覇&日本一へ団結する・他

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カープは3連覇&日本一へ団結する。10ゲーム差の「苦しい年」を越えて

 「広島は強かった」――。

 

 2017 年のセ・リーグペナントレースを振り返るとき、多くの人がそう答えるだろう。確かに、2位阪神に10ゲーム差をつけての連覇は“圧勝”と言える。ただ、チーム内に「圧勝」と感じていた者は少ない。「苦しかった」と感じている選手もいるほどだ。

 

 リーグMVPを受賞した丸佳浩も契約更改後の会見で認めた。

 

 「昨季に比べたら、苦しいシーズンだった。’16年に優勝を経験することができて、優勝する難しさを知った上で臨んだシーズン。要所、要所、大事なところがあったけど、そういうところで苦しい試合が多かった。僕としても苦しかった」

 

 他球団からのマークもあったし、勝たなければいけない使命感も感じていた。前年優勝チームとして背負った重圧は想像以上だった。

 

決して楽に勝ってきたわけではなかった’17年シーズン。

 

 引退した黒田博樹氏に加え、前年沢村賞で2年連続開幕投手のクリス・ジョンソンまで開幕直後から長期離脱した。前年の投手陣の両輪がいない中でシーズンを戦わなければいけなかった。

 

 それでも開幕からチームは白星を積み重ねたが、チームの流れが良かったとは言いがたい。

 

 ’16年同様に逆転勝利が多かったが一方で、逆転負けも増えた。

 

 5月6日阪神戦(甲子園)では9点差をひっくり返された。順調に白星を積み重ねながら、何がきっかけでいつ崩れても不思議ではない状況だった。

 

 それでも若い先発陣を野手陣が引っ張り、中継ぎ陣が支えた。そして、どんな難局をも乗り越えられる「団結力」があった。

 

「うちの一番いいところはチーム一丸」
豊富な資金力がある球団とは違い、広島はスカウティング力と育成力でチーム力を上げなければいけない。限られた戦力を最大限に生かすためには、「1+1」を2でなく、「1+1」を3にも、4にもしなければいけない。「個」の集合体ではない「組織力」が今の広島にはある。

 

 新選手会長を務める會沢翼も「うちの一番いいところはチーム一丸」と胸を張る。

 

 優勝した’16年シーズン終了後の11月に主力18人が参加した湯布院リハビリキャンプは、例年になく全選手で過ごす時間が長かったと宿舎担当者が明かす。

 

 「あれだけみんなで連日のように食事し、盛り上がったことはなかったんじゃないでしょうか」

 

 最終夜は参加した全選手、全スタッフで露天風呂に入った。ベテランの新井貴浩も若い鈴木誠也も、提案者の會沢も、みんな笑顔だったという。。




 補強で強くなるのではなく、選手の成長で強くなる球団。

 

 新シーズンへ向けて戦力補強を進める他球団を横目に、広島は目立った補強がない。ドラフト会議も高校生を中心とした素材重視の指名であり、新外国人獲得も先発中継ぎでレオネル・カンポス1人という状況だ。

 

 ただ’17年も大きな戦力補強はなかった。新人の加藤拓也と床田寛樹は開幕直後にそれぞれ1勝したものの、不調とケガで離脱した。新加入した外国人選手のライアン・ブレイシアやラミロ・ペーニャもチームの力になり切れたとは言い難い。

 

 打線は選手個々が着実に成長を遂げ、起爆剤となったのは育成契約からはい上がったドミニカカープアカデミー出身のサビエル・バティスタだった。中継ぎでフル回転してブルペン陣を支えたのも復調した中田廉の存在が大きかった。

 

「広島は本当に強くなったから大丈夫。しばらく強い」
 新戦力だけでなく、現有戦力の底上げが期待できるのが、今の広島の強さでもある。

 

 今季限りで退団した石井琢朗前打撃コーチ(現ヤクルト)も「広島は本当に強くなったから大丈夫。しばらく強いと思う」と認めていた。

 

 ただ、仮に野手陣が底上げされても’17年と同様の援護を期待するのは酷な話だ。

 

 鍵は、投手陣が握る。過去に黄金時代を築いた歴史を紐解いても、強力な投手陣なくして黄金期は訪れない。

 

 広島が挑む3連覇はセ・リーグでは巨人以来。実現すれば真の黄金期到来を意味する。

 

 投手陣における、“タナキクマル”的な存在を望む!

 

 ’17年は打線の援護で薮田和樹や岡田明丈が成長し、大瀬良大地が復活の兆しをつかんだ。

 

 ’18年は’17年の成績がベースとなるだけに、ハードルは決して低くはない。彼らが先発の柱へと成長しなければいけない。

 

 野手では菊池涼介、丸に続き、鈴木や田中広輔、會沢といった選手が主力へと育っている。

 

 緒方孝市監督も「田中がレギュラーとして定着してくれた。投手陣でも彼らが3番手、4番手のままではなく、2番手、1番手となるような投球をしてくれればと思っている」と投手陣のタナキクマル台頭を期待する。

 

 苦しみを乗り越えて強くなるのが広島だ。

 

 連覇を成し遂げながらCSで敗退し、’17年は不完全燃焼のまま終わった。

 

 34年ぶり日本一を目指す広島の前に、セ・リーグ2球団目の3連覇というあまりにも高い壁が立ちはだかる。

 

 他球団は阻止しようと戦力補強を進め、広島包囲網を厚くするはずだ。’18年は’17年以上に苦しい1年となるかもしれない。

 

 ただ、苦しみを残り越えてこそ強くなる。’17年の広島がそうだった。

 

 そしてまた’18年も広島は試される。球史に名を残す力があるかどうかを。
(Number Webより引用)




注目カープニースではないけど・・・

【3割打者を考える(4)】平均打率に大きな変化なしも「4割打者」はなぜ絶滅?

なぜ「4割打者」は出現しなくなったのか―

 

 3割打者は「打率」が考案された野球の創成期から、打者の目標となる数字だった。そして野球機構の運営者は、投打のバランスを「望ましい状態」で維持するため、用具、マウンドの高さ、ストライクゾーンなどを微調整し、100年以上もそのバランスを維持してきた。

 

 そのためリーグ平均打率は.260前後で推移し、「3割打者」は1世紀前のタイ・カッブの時代から、イチロー、秋山翔吾が活躍する今まで、変わらない価値を維持している。

 

 しかし、それでも疑問が残る。リーグの平均打率は大昔から.260前後なのに、MLBでは、1941年、ボストン・レッドソックスのテッド・ウィリアムズが、456打数185安打で.401を記録したのを最後に、76年間4割打者は出現していない。

 

 なぜ「4割打者」は出現しなくなったのか?

 

「ナイトゲームが増加したことで、投球が見えづらくなって打者が不利になったのさ」

 

「1950年代に西海岸にもMLB球団ができて、移動距離が増えたことが問題だ」

 

「154試合制から162試合制になったのが大きいのでは?」

 

「投手が速球主体から、多彩な変化球を投げ始めたことで、打者は不利になったのだろう」

 

 どれも一理ありそうだが、答えにはなっていない。この間も、リーグの平均打率は.260前後で大きく変わっていないのだ。打者が極端に不利になったわけではない。ではなぜ――?

 

打率トップと最下位の打者の差に変化

 

 大の野球ファンだったアメリカの古生物学者スティーブン・ジェイ・グールドは、「Full House(日本での書名は「フルハウス 生命の全容」)」という著書の中で「なぜ4割打者は絶滅したのか」を全く違う観点から説明した。

 

 グールドによれば、4割打者が消滅したのは、投打のレベルが上がったことにより打者の「標準偏差」の差が縮まったからだという。「標準偏差の差」とは難しい言葉だが、図にするとわかりやすい。

 

 20世紀初頭、MLBはまだ球団数も16球団に過ぎず、選手数も少なかった。投手も打者も実力はまちまちで、剛速球投手や強打の野手もいたが、今の水準ではMLBには遠く及ばないレベルの選手もいた。打者の平均打率は、現在と変わらないが、実力差は大きかったのだ。だから飛び抜けた実力の持ち主が4割を打った。

 

 しかし現在は30球団。選手数は多く、競争も激しい。その中から上がってくる選手の実力は拮抗している。打者だけでなく投手のレベルも上がった。リーグの平均打率は変わらないが、選手の実力差は縮まり、突出した選手は出にくくなっている。

 

 1901年のアメリカン・リーグの首位打者はフィラデルフィア・アスレチックスのナップ・ラジョイで打率.426。最下位はミルウォーキー・ブルワーズ(現在のチームとは別)などでプレーしたジミー・バークの.226。その差は.200だった。一方、2017年のアメリカン・リーグの首位打者ヒューストン・アストロズのホセ・アルチューベは打率.346、最下位のトロント・ブルージェイズのホセ・バウティスタの打率は.203で、その差は.143。現代の野球で首位打者と最下位打者の打率の差が.150を大きく超えることは稀だ。

 

■今後4割打者誕生は? NPB100打席以上で唯一の4割を記録した近藤

 

 MLBは、1947年まで有色人種の選手を排除していた。またマイナー組織も未整備だった。しかしMLBはジャッキー・ロビンソンを手始めに黒人選手やヒスパニック系の選手を大量に受け入れた。また戦後、各球団は全米にあった独立リーグを傘下に収め、マイナー組織を整備。さらに1950年代に入ると、未開の地だった西海岸に進出した。1960年以降はエクスパンション(球団拡張)が起こり、MLBはそのすそ野をどんどん広げていった。これとともに、MLBでプレーする選手のレベルは高まり、均質化していったのだ。

 

「4割打者」はまだリーグ、機構が小さく、選手も少なくて実力差が大きい時代の産物なのだ。

 

 MLBだけではない。KBO(韓国プロ野球)の唯一の4割打者・白仁天(打率.412 元東映、ロッテ)もリーグ創設年の1982年に出ている。NPBには4割打者はいないが、創設年の1936年春夏シーズンにはタイガースの小川年安が.477の高打率を記録。当時、個人記録を表彰していなかったが、実質的な首位打者だった。その後、KBOもNPBも整備が進み、選手の数が増えるとともに、4割打者は「遠い夢」になったのだ。

 

 しかし「打率4割」は、不可能な数字と決まったわけではなく。そのあたりに壁が作られているわけではない。事実.390台まで肉薄した選手は何人かいる。

 

 2017年、日本ハムの近藤健介は231打席167打数69安打、打率.413を記録した。これはNPB史上最も多くの打席に立っての4割だ。他に100打席以上で4割を記録した選手はいない。

 

 日本のプロ野球も大好きだったスティーブン・ジェイ・グールドは、2002年に死去した。最晩年、イチローの活躍に驚いていたという。近藤健介には、グールドが生きていたら著作を書き直したくなるような活躍を期待したいものだ。
(Full-Countより引用)




癒やしの音楽 ♪

空を翔ける日

(曲は、DOVA-SYNDROMEより引用)
(作曲は、今川彰人)
(作曲者のコメント:
 元気で明るいブラス&ピアノBGMです。
 スポーツ、行事、CM、遊び等。
 3回繰り返してます。)




思い出の歌♪

山口百恵 謝肉祭

(YouTubeの
kirin 2016より引用)




思い出の映画♪

鉄道員(ぽっぽや)

(YouTubeの
YouTube ムービーより引用)




カテゴリー:2018/1月

通りすがりの旅人